[Backdated] パリ4区,ちょうどポンピドーセンターやIRCAMの南にあるサンメリ教会(église Saint-Merry).すぐ近隣のノートルダムなどに比べるといまひとつ地味で,小さくて,埃っぽくて,入口は日によってころころ変わるという妙な教会だが,ここは22歳の夏に知って以来,僕の音楽の聖地のひとつになった.
たしかその時の僕はパリに着いたばかりで,自分のフランス語の下手さ加減や人生の諸問題の解決不具合にやさぐれ,『無料コンサート』というチラシに誘われてふらふらと舞い込んだのだった.薄暗い教会の中にはこれから魔女狩りか何かの儀式が始まるのではないかと思わせる妖しいロウソクの灯がともっていたが,登場したのは魔女でも悪徳司教でもなく,内田光子さんだった.
曲はバッハのクロマチックファンタジー&フーガだったと思うが,いずれにせよ彼女のレパートリーとして有名になっている曲ではなかった.ミツコ・ウチダほどの大巨匠が無料コンサートをするというのもとてつもない話だが,それ以上に僕を驚かせたのが聴衆の度を超したリラックスぶりだった.巨匠の演奏するわきで赤ん坊がぎゃーぎゃー泣くわ,幼児は物をねだって床に寝転んで暴れるわ,学生たちはポップコーンをかじりながら走り回るわ・・・席は空いているのに大半の人は立って歩き回っている.屋根は付いているがこれではまるで公園だ.
巨匠もそれを横目で眺めて大雑把に微笑んだりしている.
とうてい理解不能な光景だったが,その時以来僕は,人間のリアクションには「理解不能」という選択肢もあるのだと知り,色々な物事やプレッシャーに楽に接することができるようになったと思う.
それからさんめり教会には何度も足を運んだ.ここではマエストロもヴィルトゥオーソも偉ぶらずにボランティアと一緒に椅子を並べたりするので,時に統制が効かずステージの位置が変わってしまったりする.それが入口が日替わりになる理由だというのも後に知った.小さな教会なのに音響は抜群で,いったん天井に集められた高音がスノーフレークになって細かく降ってくるようだ.赤ん坊の泣き声も神秘的に聞こえてしまったりする.およそ「残響」というものの僕にとってのデフォルトが,ここの音というわけだ.
今回もここには通った.相変わらず乳幼児は好き勝手に振る舞っていたし,デジカメの電子音をピコピコ言わせていた人を注意するおっさんの怒鳴り声のほうがうるさかったり,混沌さは変わらずだ.演奏家のほうもフルタイムプロの人ばかりとは限らず,実にいろんな人々が居る.バッハのマグニフィカか何かを歌う合唱団の中には何人か強面の方も混ざっていて,「おお主よ!」などと豊かなバリトンを張り上げる数人は今しがたここに来るまでに何人か殺(や)って来たぜ,という印象で,差別する気はないんだが申し訳ないんだがどうしても悪の匂いをぷんぷんさせている.殺ってはいなくとも盗みくらい働いて来た者は実際混ざっていたかも知れない.しかしそんな人々をあまねく呑み込んで鳴り続けるのが音楽だ.観賞中はスリに注意しましょう(笑)
音楽を選ぶのは人だが音楽は人を選んだりしないのだ.
おめぇにはビタ一文あげねーよ,と思わせる大道音楽家もたしかに多いですパリには(そのくらい選ばせて).
しかし僕は,音楽とお金で悩みに行き当たったとき,いつも心はこの教会に飛ぶのです.
さんめり教会の無料コンサートプログラムはこちらを参照(フランス語です).
←赤ん坊の泣き声で調律する楽団(うそ)
写真をクリックすると動画がポップアップします.
Recent Comments