ワインを愛する人は自ら死を選んだりしないと思っていた.
僕自身はそう何度もお会いしたわけではないが,親しい友人の,これまた親しい友人だった.
20代の頃,六本木のとあるスタジオで長期のレコーディングを任されてプレッシャーに溺れたとき,すぐ隣にあった加藤さんのスタジオに逃げ込んだことがあった.非常に存在感が明確で,曲を作ることと旅が好きならそれでよいという,当時の僕には衝撃とも言える,しかし今では手放すことのできない生き方を提示してくれた方であった.
報道では『J-POPの偉大な損失だ』などという論調だが,彼はよもやJ-POPのために曲を書き続けてきたはずはあるまい.
この仕事をしていると,ふっと無力感が体の中に魔のように忍び込んでくることがある.もちろんご本人やご遺族に失礼になるから勝手な想像を言いたくはない.しかし,真摯に取り組んでいる人ほどもろい.これは壁に当たったとか裏切りに逢ったとかではなく,もっと日常的な不整合性のようなものなのではないか.心の中に二台の機関車があって,長い貨物列車を一台は引っぱり一台は押している.二台の呼吸がちょっと合わなくなると貨物列車は連結器が吹き飛んで押しつぶされる,そんな風な,まったく割に合わない悲劇.事故とも言っていい.決して特別な事ではないと思って欲しい.ただ僕の場合納期が怖くてまだ死ねない.表題のStingの歌詞の一節のように,僕は音楽という工場に囚われた労働者階級なのかも知れない.
とにかくお疲れ様でした.向こうで少しは楽になれましたか? ご冥福を心からお祈りします.
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新しい仕事はぜんぜん終わらない.先月末にはまた北京にレコーディングに行って来た.その動機と遂行手段の是非は別として北京の空気が綺麗になってきているのは良いことだ.今回は日本に帰ってきたときのほうが呼吸が苦しいとさえ思った.湿気と高い気温のせいだ.
北京出発前にクライアントにデモを出したがなかなか返事が来ない.出発が近づきもうキャンセルも出来なくなったので慌ててスコアを書き,Amazonの段ボールに詰めて北京に到着したところでクライアントからメールで「NGだ」という連絡が来る.怒ってはいけない.恨んではいけない.ちょっとした行き違いなのだ.国境をまたいで仕事を進めているとよくある事なのだ.恨んでは・・・(以下省略)ただそのままでは翌日のレコーディングのために大金が(ポケットマネーから)無駄になり,さらにやり直しのためもう一度払わなくてはならなくなる経済的損失を鑑み,徹夜で新曲に挑む.作曲,オーケストラ編曲,スコアの印刷まで与えられた時間は3曲で6時間.
最後はタクシーの中で,そして到着した人民ラジオ局の守衛の建物内で手書きで譜面を走り書き,なんとか録音にこぎつけた.3泊4日の北京滞在で8時間も寝ただろうか.後日,ラフミックスをクライアントに提出するも,また返事が来ない.これは苦しい.
数日後,ちょっと返事を催促してみる.すると「曲が良すぎて聴きいってしまったため返事が遅れた」というハングルのメールがやって来た.やっと心が安まった.安まりついでにSnow LeopardやLogic Pro 9のインストールなど始めてしまったためにあれよあれよと数週間が空転してしまった.
そこに届いた友人からのメール.ヴァカンスでストックホルムに居て,気温摂氏4度の教会で合唱団を聴いている.空気が気持いいよー.だと.
僕は極端な暑がりのようで,4度という数字に一気にヨーロッパへの郷愁が甦る.10月だというのに,南窓のせいで冷房をかけないと温度計が容易に25度に達する今の神奈川の家は夏となんら変わりない.(季節に鈍感なのではない.秋の気配は感じるが,ただ異常に温暖なだけだ.ヨーロッパでは日中の気温が25度を超えると学校休みになる国もあるんだぜ・・・)
今の仕事が片付いたあと,僕はどうなるのだろう.「やりたいことがなくなる」のだろうか...暑さ→寝苦しさが重苦しい精神状態を生み,なんでも悪い方へ悪い方へと考えてしまう・・・.
加藤和彦さんが教えてくれたように,切り離せないもう一つの趣味に心をすこしだけ傾けてみようか.燃料サーチャージが上がる前に駆け込みで買ったエールフランスの航空券の出発日は来年1月だ.それまで,僕の二台の機関車はちゃんと息を合わせて走ってくれるだろうか.ナンダサカ,コンダサカ・・・,と峠を越え川を渡り,僕の生命をいずこに運んでくれるのだろうか.
私の長い音楽人生でも加藤さんとは一緒に仕事をしたことはありませんね。
でも、その人生と音楽にずっと「フランスっぽさ」を感じ、その部分ではとっても共感はしていました。
修の言うように、よもや「 JPopが自分の人生の核」だなんてことは思ってなかったはずですがね。
死んですぐさまにそういう形容をされるのも悲しいものがありますナ。
その辺がメディアにずっと露出していた人のサガなんでしょうかネ。
まあ、言ってしまえば、メディアに文化を語ることなんてこれっぽっちもできないということでしょう。
向こうで加藤さんがワイングラスを片手にかんらかんらとメディアを笑いとばしている姿を想像しています。
Posted by: みつとみ俊郎 | Sunday, 18 October 2009 at 18:53