気が付くと,身のまわりから愛すべきものが次々と消えて行ってしまった...
ひとつは,子供の頃からよく線路にその通過を観に行っていた,東京発のブルートレイン.
そしてSpa王ペペロンチーノに至るまで.
消えていくものにはすべて理由があり,残されるものにもそれなりの道理がある.(詳しく説明をくださった上私の拙いメールに応じてネットショップで追加再販にまで踏み切ってくれた日清食品のiさんに,この場を借りて感謝の弁を述べさせていただきます...)
わかっちゃいる.しかし廃止間近に乗りに行ったり箱で買い占めても,どうにも納得できない.
そんなとき,我々から出てくる言葉は単に「好きだったのに」「惜しい」という情緒論ばかり.そして結局は「仕方ない」「さよなら.そしてありがとう」などと前を向くのが大人であるかのようなこの社会の空気・・・.
もっと子供っぽく声を荒げてもいいのではないか.
中国やヨーロッパで液晶TV付きのぴかぴかの最新式寝台車が満席になっている賑わいを目にするたび,ちょっと悔しくなる.
最近僕がこんなにノスタルジックになってしまったのは何故でしょうね...?
a) 歳をとったと感じ,消えゆくものに自分を重ね合わせ,愛おしくなる.つまり自己愛の延長.
b) 歳をとったと感じ,消えゆくものに自分を重ね合わせ,自分も消されちまうんじゃないかと恐怖を感じる.
c) 多数決に支えられたマーケティングへの抗議.
d) 急激な『鉄』化.
それとも・・・
無知は憧憬を育み、既知は批評を生む。
Posted by: JayMing | Saturday, 09 May 2009 at 03:49
つまり人は学べば学ぶほど憧れる心を忘れコメントばかり付けるようになるわけだな.恐ろしからずや...
Posted by: Osamu | Saturday, 09 May 2009 at 12:02