明日は統一地方選だ.僕は先日区役所に行ったついでに期日前投票を済ませてしまった.空いていたし近くてそのほうが便利だったからだ.
つまり自分にはもう関係なくなってしまったというせいではないが,今日はまったく呆れた.選挙宣伝カーの騒音である.『最後のお願いにあがりました〜』『ぜひ神奈川を,あなたの力で変えていこうじゃありませんか』と感情と抽象を絶叫する複数の敵対党の車が,わが家の前でしばしば信号待ちをする.眠れない,仕事にならないという苦情は,一票を軽んじる風潮の中で,もはや口をつぐまなければならないのであろうか.それにしても,
まだこの国はこんなことをやっているのか.
ネット上で自分の居住地の候補者を検索するのなら1分30秒でできる.その人がどのような政見を持っているか,目を通して誰に投票するのか決まるまで約10〜15分.それ以上ゆっくり読んであげたいが,読んだ分が投票に活かせられるほど候補者が多くないので投票行為の準備としてはそれで十分である.さらに念のために2ちゃんねるやその他媒体でゴシップチェックをして15分,その中からどれがガセかやっかみか判断するのに10分.ものの40分ほどで僕の選挙準備は終わった.
ネットの情報は信憑性が欠けると言う人がいる.それでは配達員の顔も見ずに朝ポストに放り込まれる紙媒体なら信じられるというのか.宣伝カーの絶叫を窓も開けずに聞いて,この人なら信頼できる,という結論に真面目に至ることができるというのか.今でも僕は,知事,県会議員,市会議員の各候補者について何も読まずに簡単に説明できる自信すらある.チラシと演説で投票した人にそれができますか?
自分は支持する政党を変えない,という人が居る.また浮動層と言われる人がいる.前者はカレーには必ずソースか醤油か決めている人たちであり,後者は状況によってソースをかけるか醤油をかけるか使い分ける人たちである.どちらの人も,ソースをかけようとした瞬間窓の外から宣伝カーが『醤油をかけなさい〜.醤油を〜!清き一滴を!あなたの力で!』絶叫してきたら醤油に変えてしまうというのか.いや中にはそういう影響されやすい人も居るかも知れない.そうした変わり身の早い人がじつは今の日本を動かしている.例が飛躍しすぎ? いや,95%の人が醤油をかけるようになってソースがスーパーの棚に並ばなくなったら,それはそれで世の中がひとつ変化したと言えまいか.
(ちなみに僕はソースでも醤油でもなく唐辛子とオリーヴオイルをかけますが.)
"A peasant must stand a long time on a hillside with his mouth open before a roast duck flies in."
- Chinese proverb (quoted by Paul Theroux, Riding the Iron Rooster, 1988 Penguin Books)
このポール=セルーによる中国の諺の引用を直訳すれば,『農夫は口の中にローストダックが落っこちてくるのを待って口をあんぐり開けたまま長いこと丘につっ立ってなければならない』となる.ちなみにポールはこのあとJames Joyceの『ユリシーズ』の一節を引いて『すべからく革命などというものはこの農夫の(怠惰な)夢と望みから生まれてくるようなものだ』と続けている.
日本人は口をあんぐり開けたまま民主主義とそこそこの生活が落っこちてくるのを待ってきた.これからも待っていくのだろう.そして明日の夜あたり祭で疲れた人々が寝静まったあと,その食べかすが,意味のない印刷物やカーネーションや片眼の達磨のゴミの山となって,お山の向こうへ運ばれていくのだ.
先日、迷子の子供の放送が鳴り響く花見公園にて、「最後のお願い」をする為に先生方がいらっしゃってました。
鳴り響く迷子の放送。
その放送よりも大きい声でお願いに上がる先生方。
2つの音が入り混じる公園。
まさに混沌でした。
その先生方が、怖そうなお兄さん数名に囲まれて怒られていたのはご愛嬌。
Posted by: ST2 | Monday, 09 April 2007 at 18:00
あはは. >ST2
なんとも象徴的な状況ですね.
ローストダックというよりか,もはやレームダックですその先生方.
声の大きい者がまかり通っていく社会になったら,いやですね.
Posted by: Osamuxxxx | Monday, 09 April 2007 at 19:36