僕は自分がよいと信じる音楽を真摯にやっていくだけです. 他の誰の曲をも汚したり冒涜したりしているつもりはありません. そして他のどんな『偉大な』音楽性の前にもひれ伏すつもりはありません. 僕が必要としているのは信者じゃないのです. 一瞬でも僕のメロディを思い返してくれる世界中の人々のために,生きて音楽を作ります.
作曲屋さん&ピアニストです.言語オタクです.
思い返すどころか、口ずさんであげます。
osamuさんの音楽一生忘れませんよ。
Posted by: shu | Sunday, 21 May 2006 at 18:58
寧ろ、『信者』の方がタチが悪い。……とか思ってみる。
Posted by: アクア | Sunday, 21 May 2006 at 20:47
Osamuさんの音楽は常に私の糧となっています。今日も仕事先(新大久保)で
聴かせて頂きましたが、心震える想いでした。
私も、私の写真を必要としてくれる人々のために、自らの理想を形にして
闘い続けたいと思います。その第一歩を見に来て頂けたこと、本当に感謝しています。
Posted by: 瀬山 響@写真屋 | Monday, 22 May 2006 at 22:41
自分はある意味『信者』です(苦笑)
修さんは修さんなんですよね。
こないだ某所で実感しました。
Posted by: Nakky☆ | Monday, 22 May 2006 at 23:03
最大公約数的な音楽が流行る中、素数的芸術主義ってのはどうでしょう
Posted by: micnak | Tuesday, 23 May 2006 at 02:10
みなさん励ましのお言葉ありがとうございます.
作曲マシーンもしょせんは人間なのでして,他人の評価やウワサに一喜一憂するのです.
たしかに(>micnak)2でも3でも割れない,煮ても焼いても喰えない,忘れようにも思い出せない,紙に書こうとしても書ききれないメルセンヌ素数のような男だったりしますが・・・.
ついでに歳も23とかならいいんだけどな.
Posted by: Osamu | Wednesday, 24 May 2006 at 04:43
なにがあったのかは知りませんが、
>他のどんな『偉大な』音楽性の前にもひれ伏すつもりはありません.
それが、きっとプロフェッショナルということであり、オリジナリティということなのかもしれませんね。
信者の賞賛だけで満足されるようになったら(そんなことありえない人だと知ってますが)作曲家である意味がなくなるでしょう。
他人の言葉というのはたしかに気になります。しかし、世の中いろんな感覚を持っている人がいるわけで、すべての人の間性に訴えることは不可能。すべての人に訴えようとしたとたん、すべてのファンを失うことにもなりかねないともいえるのではないでしょうか。
修さんの音楽、何年も前から知っていますが、ある一貫性がある。だから、今日の修さんがあるのだと、時代が修さんを呼んだのだと思っています。
私はとりあえず、プロフェッショナルを作る本を作り続けます。
Posted by: tomo18 | Friday, 26 May 2006 at 23:45
Apparently this is what the eseteemd Willis was talkin' 'bout.
Posted by: Jacci | Wednesday, 24 October 2012 at 10:35