韓国でゲームの規制が強化されつつある.
もともとは『바다 이야기(海話)』という不法射倖性ゲーム(おおまかには賭博オンラインゲームのこと)にノ・ムヒョン大統領の甥や側近が利権上関わっていたというスキャンダルに端を発したのが,ここへ来てMMORPGのRMTなども混同され,麻薬性のあるオンラインゲームもついでに厳しい国家の監視下に置くべきだというヒステリックな論議に発展し,検閲が強化された.
むかし日本のポケモンで子供に引きつけをおこさせたような派手な映像や,学業が手に付かなくなるような中毒性の音楽も,この秋から規制の対象とされてしまうことになったのだ.もちろんグラナド・エスパダも対象だ.僕の曲は果たして検閲を通るだろうか・・・.
そもそも,韓国はゲーム大国,エンターテインメント大国として国策で人材とインフラの整備につとめてきた.しかしなにごとにも国策というのは諸刃の剣である.中国に目を向けると,ビジネスと教育のために国家が鳴り物入りで作った100万人同時アクセス可のサーバー(すげー)が,いまやゲーム用サーバーとして国民の精神崩壊に手を貸しているではないかという議論がある.(もしも為政者が盲目的支配の確立のために精神崩壊を望んでいたならば実に周到な作戦だったわけだが・・・笑)数年前までゲーム業界はアジア諸国にとって経済打開の突破口であったから比較的マイナス面の論議はされなかったが,ここに来て急激に出る杭は打たれ始めた.しかしよく考えてみると,彼らがいま目の敵にしているものこそ,彼らの国が血道をあげて作り上げてきたシステムによって作られたものではなかったか...
北朝鮮でもいま国家を上げてゲームプログラマーの育成をしている.今は外貨稼ぎかも知れないが,かの国の体制崩壊をもたらすものは,軍部でも外圧でもなく,実は成熟したあとの彼らかも知れない.
先日Discovery Channelでアジアのゲーム文化を紹介していたが,ディナーや睡眠よりもゲームが好きということがいまだに理解できないでいるアメリカ文化(笑)は,アジアとはまったく異なる反応をした.ゲーマーをビジネスに転化させようとしたのである.ゲーマーのチームを法人化し,マネージャーを立て,弁護士を付けた.そして,ゲームに刺激されて凶悪犯罪がおきた場合,ゲーム制作会社も連座で処罰される法案が昨年ワシントン州で提出された.ゲーマーは逆に法人の鳥カゴに守られる仕組みだ.
そのうち,東京都のストリートミュージシャンのように,法人としてライセンスがないとゲームがプレイできなくなるかも知れない(笑)
ちょっとむつかしい話でごめんなさい.僕が告白したかったのは,アーティスト個人が世界を相手に食っていくことの不安である.こんなにコロコロと政策が変わったり,国によってまったく違う価値観で裁かれてはたまったもんじゃない.個人とはしょせん国家の掌で転がされるだけの運命なのだろうか・・・.
こうなると,いちばんいいのは無為無策の日本で活動することになってしまう.ゲームの中毒性が教育に良くないとか,いや韓国に負けないように人材を教育すべきとか,日本社会はぎゃーぎゃーわめくだけで何もアクションしていない.これが皮肉にももっとも活動しやすい環境を作っている.韓国で仕事をしていると,僕と同じようにクラシックのバックグランドを持った作曲家の多くが,仕事の実績よりも国家によるコンテストなど,いわば国の威光をもとに上がってきた人たちだということに驚く.と同時に彼らの将来を思うとき他人事ながら心配になってしまう.
ヨーロッパは積極的静観の構えだ.子供がゲームをやるかハマるか背を向けるか,それは自主的に家庭で教えることで,社会や国家にあれこれ言われたくない,という思想が根強いためだ.個人的には全面的に賛成だ.これは無為無策とは違う.
ゲームを国家で取り締まってくれ,うちの子がヘンなっちまう,という親の発想自体こそ,ゲームで育った親たちの国家像なんではないかと思う.『サポートさん,うちの子をv2.51にアップデートしてください...ついでに勉強以外の機能を外して』
後編ではお金にまつわる話をします.(次の投稿とは限らないです)
お疲れ様です、お久しぶりですw
いやー実は、北海道は一年前に・・・・(謎
いろんなことありましたのでおおっぴらにはいえないんですども。
例えば船で韓国に行くのが楽な地域とかですね・・・(謎
BOTNEWSっていうところよく読んでいますが、ROに限らず別のゲームでもいろいろ酷いようですね。
MMOは衰退時期に入ってしまっているんでしょうかねぇ、もう私もROやって4年半くらいになりますが、BOT・RMT・中国ゴールドファーマーとかいろんな要素入ってきて、しまいにゃ運営会社のRMTで荒稼ぎして不正アクセス禁止法で社員逮捕ですし・・・
1千万以上儲けて不正アクセス禁止法の罰金50万とか、なんだかねぇでしたが。
まぁそんなこんなでいろいろ兼ね合いも出てくるとは思いますが、応援してますのでー
Posted by: D-ryu | Monday, 11 September 2006 at 12:51
おっと,移民したのですね(笑)
西日本なら中国行きの船も多種多様かと.
Posted by: Osamu | Wednesday, 13 September 2006 at 18:04
初コメントです。
>僕と同じようにクラシックのバックグランドを持った作曲家の多くが,仕事の実績よりも国家によるコンテストなど,いわば国の威光をもとに上がってきた人たちだということに驚く.と同時に彼らの将来を思うとき他人事ながら心配になってしまう.
全く私も同感です。
アジアの中でも日本はまだその点、かなり恵まれていますね。
私が同情してしまう点は、最近、中国や韓国の若手クラシック奏者が国際コンクールなどでも目立ってきましたが、残念なことに彼等の音色を聴くと名前を見る前に人種が分かってしまいます。
国がバックにつき若手を押し上げるのなら、それなりに若手を引っ張れるだけの教師も必要だと思います。
韓国や中国の出場者からは残念ながらまだ「東洋音楽的な音色と旋律」がこびりついてしまっています。
今のジュリアードも8割方が韓国・中国系の学生が占めていますが、その中で活躍している比率を見ると、この壁は大きいのではないかと思います。
(Yundi Liは実際に何度か直に会ったりカーネギーのデビューコンサートもお邪魔しましたが、15年間のショパンコンクールの沈黙を破っただけの力はあったと思います。実際オフでもリハーサル直後とか何度か偶然会ったりしましたが、本人もとても肩の力が抜けている感じで、自然体な方でした。先生が良かったのではないかと思います)
また彼等の「耳」がクラシック音楽に基準されていないので、楽器と自分の演奏の相性の判断も彼等の演奏の妨げになってるような気がします。
ロシアやハンガリーなども国がバックにつき演奏者がコンクールに出場するという形が未だ根強いですが、教育システムが違いますからね。
廃れつつあるクラシック界を「天才」と言う上辺だけの発想ではない本物の演奏者達が建て直してくれることを願ってやみません。
長々、厳しい批判を失礼いたしました。
Posted by: Mari | Sunday, 17 September 2006 at 14:39
追伸。
でも弦楽器奏者はたまに西洋人よりも東洋人の方がかなり上手だったりしますね。
弦楽器奏者は逆に東洋人の方が大きな活躍の場が目立ったりもします。
もともと職人文化が根強い国々だけに、弦などの緻密で繊細な機微が必要とされる楽器は向いてるのかもしれませんね。
Posted by: Mari | Sunday, 17 September 2006 at 14:49
>Mari
遅くなってすみません.
国家というのもしょせんは人が作るものなので,人の欲から逃れられない.(今の日本の「毅然」欲が強いように)
旧共産圏が国をあげてエリート教育に邁進したのは,いわゆるconservatoire=西洋音楽の正統基準を学ばせることだったわけでしょう.もちろんその背後には外貨への欲があったのかも知れないけど,平たく言えば一種の背伸びですよね.その背伸びによって現在のクラシック音楽の水準が保たれているというのは皮肉なことかも知れません.
いずれにせよ,その「基準」を身につけることと,ひとりの人間が音楽を通して「個」を謳歌することとは,まったく異質なことだと思います.
「作曲と演奏は違うんだ,作曲しろ!・・・」とか言ってるわけではなくて,どんなカタチでも個は謳歌できるのではないでしょうか.
シモーヌ=ドゥ=ボーヴォワールが「人は女に生まれるのではない,女になるのだ」と書いたように,音楽家もまた然り.
生まれながらの民族や環境,周囲の期待,国家,おのれの神仏,やがては教育すらも振りきって,音楽家は個をめざすのです.
Posted by: Osamu | Thursday, 28 September 2006 at 05:27