12月30日午後5時,ソウル市近郊の京畿道高陽市オウルリムヌリ劇場におけるイム・テギョンの送年(年忘れ)コンサート“Winter Voyage"に,ちょこっとではありますがゲストとして出演することになりました.
12月30日午後5時,ソウル市近郊の京畿道高陽市オウルリムヌリ劇場におけるイム・テギョンの送年(年忘れ)コンサート“Winter Voyage"に,ちょこっとではありますがゲストとして出演することになりました.
ピアノ曲を発表した直後によりによって,ピアニストとしては看過できぬニュースが飛び込んできた.
そう言えばここ数年,オーストリアの職人集団ベーゼンの経営も,グローバル化で米帝の投資会社に転がされて首をかしげる歩み方をしていたもんな.
素直に言えば,あまり嬉しいニュースではない.
Steinway好きの僕だが,Granado Espadaの"Aria de Coimbra"を始め,中国映画のサントラ,また馬島昇とのコンサートなど,あらゆる仕事で実はベーゼンのImperial (97鍵) をも愛用してきた.とても素直なピアノで,心に積もっているちょっとした塵のようなものが音に出てしまう,繊細だが同時に雄弁な楽器だ.一度乗りこなせば言うことを聞くサラブレッドのようだ.
Yamahaとしてはブランドを統合まではしないつもりだそうで,楽器のハードウェア的運命としてはそれで少し胸をなで下ろせそうだが,心配なのは販売法や哲学の大きな違い.香港が中国に返還されるようなもんですよ.一国二制度ならぬ一企業二ピアノ.かつてKurzweilとYoung Changで破綻してるからなぁ...Yamahaという企業は個人の音楽家対象というよりもペダゴジックな組織の中で楽器を売ってきた伝統があるから,僕のような一介の個人作曲家がちょっとお金貯めてベーゼン買おう,というのが難しくなってしまわないか・・・あるいはあの職人的メンテはどこに?Yamaha嘱託の調律師さんとベーゼンのマイスターでは調律の始め方から弦間のデチューンまで全然違うのです.(僕は北京のベーゼンの調律師の仕事に惚れて,そのために中央電視台のImperialを愛用したと言っても過言ではありません)
それだけが気に掛かって不眠に輪が掛かっています.
誤解のないように言っておきますが,Yamahaもいいピアノ造ってますよ.C7なんか一度調整をちゃんとすると半永久的に素晴らしい.日本の借家で育った僕にはYamahaの音にむしろ郷愁があったりもする.
それにしてもYamahaはどこに向かうのでしょう.Steinwayがサンプリングピアノ開発に手を出したのに対抗して,以前ドイツの電子音楽ソフトメーカーSteinbergの技術を買収したYamahaがベーゼンのハイスペックサンプリングを出すのではという説もささやかれていて,もっともらしい話ゆえに怖いですね.
演奏家から見ればただ好き嫌いの問題というだけ.関係者の方が読んでいらっしゃってもどうかお目こぼしのほどを.
本格稼働しましたね.
今回も書いてます.
曲詳細などは今後コナミ公式サイトにアップしていきますのでよろしくお願いします.
偶然見つけました.
がんばって家に入れたいみたいなんすが...
カナダの方がわざわざこのような画像に僕の音楽を使ってくれるとは・・・.有り難いだけでなく,自分の音楽の可能性という意味で新鮮さを感じます.
ちなみにこのハムスターはすでに他界してしまったそう.
そんな大事な映像ならなおさら・・・.
Motion Picture Copyright ©Turtlebear
Music used: Vyshegrad - Valse d'Auch/Old Speckled Reel by Osamu Kubota
Music copyright ©Osamu Kubota
ちょっと前に,『嫌われ松子の一生』というテレビドラマで(映画ではない),クリスマスに孤児院が焼け落ちてしまうシーンがあった.
その時の音楽に魅せられて,魅せられて,しかしどこに訊いても出自がわからぬまま,そのシーンのDVDのみを保存して今日に至っていた.オリジナルサントラにも入っていないし.
そもそも,僕はいわゆる定番と言われる曲に対してあまりに無知すぎる,と自分で思う.
40〜50代のミュージシャンだったら,ジャズのスタンダードの曲名を言われた瞬間に演奏できるのが,ある意味当然と想定されていよう.
30代だったらビートルズかも知れない.少なくとも僕は,恥ずかしい.
スタンダードの多く流れるクリスマスの季節には,もっともっと恥ずかしい.
ずっと,ラフマニノフがいいだのアルビノーニがいいだの理屈をたれて,結局この曲すらも知らなかったのだから...
それは,"Cantique de Noël"と言う,フランス人作曲家Adolphe Adamの歌で,英語圏では"O Holy Night"というタイトルで知られていた曲だった.
偶然それを見つけたのは,友人のクリスマスパーティで弾く曲を探すため,www.easybyte.orgという楽譜サイトを検索していた時のことだった.
なんと良い曲だ.朝も晩もヘッドフォンを付けてワインを飲みながらこの曲にのめり込んでいる.
さっそくタイトルをiTunes Storeの検索に打ち込み,出てきた150ほどの演奏を試聴してみる.ナット=キング=コールは上手いけど若干ナルシシスティックであるし,Il Divoの歌い方に至ってはあくまでオスを主張しているとしか思えぬ.そんな中,意外に無名なシンガーJosh Grobanのテイクがドラマで実際に使われたと分かるまで30分とかからなかった.買った.¥150.
『千の風〜』以来,日本人はどうやらテノールの美声に魅了されきったようである.しかし,実名は挙げぬが『千の〜』のシンガーの声に僕は魅力を感じない.整いすぎて,あたかも,サンプリングされた神の声のようである.それに比べ,Josh Grobanにせよ,敬愛する友人イム=テギョンにせよ,その声はもっと人間としての限界を知った,いわば「身の程を知った」声なのである.張り上げれば張り上げるほどいつ切れてしまうか分からないような不安感,それこそ人の出せる最大の声の表現なのではあるまいか.パヴァロッティよりはカレーラス.その前に於いては,単にベルカントをカタログとして提示されてそれに酔っている日本人ども,如何に阿呆か知るかよい!(失礼
そういえば先日,TaQとイム=テギョンと我が家で晩飯を食べているときに,お互いビートルズの時代を通っていたのにかかわらず,ビートルズにまったく魅せられていなかったことを確認して,なんだか嬉しかった.
決してビートルズの音楽を否定するわけではない.ただ,皆がこれに従えという風潮になったときに,あえて勇気をもって従わなかった男達が,いまこのようにして出会ったということなのではないか.それは無知でも,決して恥ずかしい無知ではない.
いつもロックを聴いていた母に刃向かい,チャイコフスキーを聴いていた幼少時の僕はその当時『逆だ』と言われた.いま,僕と母の居る場所は決して離れていない.むしろ,逆だと言って僕等を責めた当時の大人たちが恨めしいが,刃向かおうにも.皆他界していて追いつかない.
今は平和な時代になったんだね...おかげで僕も喰っていける.
Recent Comments